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夢でも、見ているのではないかと思った。 「はっ、はっ…!」 肩で息をしながら座り込んだまま、動くことが出来なかった。 部屋に明かりはなくて、障子越しに射し込む月明かりだけが頼り。 そんな薄暗い部屋の中で、座り込んだ私を見下ろす光秀様と目が合う。 その両手には戦場で使う大きな鎌が握られている。 突然私目掛けて振りかざしてきた鎌、が。 夜更けに突然尋ねてきて、一体、どうして、こんなことを? 「おやおや、何故逃げるのです?」 心底楽しそうな顔をしながら、私に問う。 その足元には抉られた畳。 先ほど振り落とされた鎌を間一髪のところで避けたときに抉られたものだ。 それを見ると、先程の恐怖がせり上がってきて力が入らなくなる。 そして、光秀様が問うているのに答えることも出来ずに、 ただただ月明かりに照らされるその姿を見ていた。 「花は散る瞬間が一番美しい。」 また突然、低く響く声でそう言うと、すっと鎌を私に向けた。 今度はかちかちと歯が鳴り、自分でも情けないと思うくらいに身体が震えてきた。 すっと首筋に刃先が触れ、ゆっくりと力が込められていく。 ぷつりと皮膚が裂け、小さな痛みが身体に走り、ひっと口から悲鳴が漏れる。 「それは人間も同じこと。そう思いませんか?」 にやりと、光秀様が笑う。 私はその言葉の意味を理解しようと混乱する頭を精一杯動かそうとするのだけれど、 恐怖に支配された頭ではまともに考えることが出来なかった。 ただ、わかることは私が殺されそうになっている今の状況だけ。 ああ、どうして、光秀様は私のことなど何とも思ってなどいなかったのでしょうか? 「ああ、しかし、このまま殺してしまうよりも。」 そう言い、首筋に宛がっていた鎌を下ろすと、障子に手を掛け勢いよく開け放った。 黒い空には満月が浮かんでいるのが見える。 光秀様は満月を背にこちらを向き、ばっと鎌を持った両手を広げる。 「さぁ、。立ってください。逃げなければ、殺してしまいますよ?」 くつくつと光秀様が笑いながら言った。 「どうしたのですか?ほら、早く逃げてください!」 急かされるままに、ふらふらと立ち上がり外を目指し一歩ずつ歩く。 光秀様はその様を見てにやりと唇を歪めた。 そして、覚束無い足取りの私に向けてまた鎌を振る。 「っ…!」 はらりと、自分の髪が宙に舞う。 あと少し、あと少しで、その刃先は私の首に当たっていた。 どくんと心臓が大きく鳴り、それが合図のように部屋を飛び出した。 ひたすら廊下を走り、角を幾つも曲がって、大分部屋から離れた廊下で立ち止まる。 どくんどくんと忙しい動きをする心臓が煩くてたまらない。 「もう、お終いですか?」 音も無く近づいてきた光秀様に後ろから声を掛けられる。 ばっと振り向くと、鎌を振り上げた光秀様が見えた。 「いっ、あぁっ…!」 振り下ろされた鎌は私の左腕をざくりと刺す。 その痛さに顔を歪ませ、声を漏らす。 痛い、痛い、痛い! じわりと血が滲み、着ていた寝巻きが赤に染まる。 右腕で傷口を押さえると、ぬめりと生温かい感触がした。 そのとき、視界の端にまた鎌を振り上げた光秀様の姿が映る。 さっと血の気が引いていくのと同時に、重い足を動かしどうにか光秀様から逃げる。 「そうです、。精一杯逃げてください。でないと、楽しくありません。」 高らかに笑い、ひたひたと歩きながら追いかけてくる。 一定の間隔をあけたまま、しばらく何もせず追いかけてきたかと思うと、また突然切りつけてくる。 どれだけの距離をそうしたのかもうわからない。 気付けば、ずいぶんと城の奥まで来ていた。 その間に、腕を切られ、背中を切られ、横っ腹を切られ。 痛い痛いと全身が悲鳴をあげ、ひゅうひゅうと耳につく息がひどく煩い。 不意に、後ろから私の足を掬うように光秀様が鎌で絡め取る。 足を取られ前のめりに転ぶと、光秀様が私の前に回り私を見下ろす。 「嗚呼、可哀相に。痛いのでしょう?ならば、私がその痛みから解放してさしあげますよ。」 ぺろりと私の血が滴る鎌を舐めると、無理矢理壁に寄りかからせるように立たされる。 足にも、他の箇所にもたくさんの傷があるはずなのに、もう感覚が麻痺したように痛みを感じない。 ああ、私死んでしまうのね。 でも、光秀様に殺されるのならそれも悪くないかと思ってしまうのです。 自分でも気付かなかったのですが、私はそれほどまでに光秀様をお慕いしていたようです。 ですから、どうか、聞かせてください。 「み、つひで、さま、」 「おや、どうしたのですか、。」 「光、秀様は、めのこと、が、お嫌いだった、のでしょう、か?」 呟くようなか細い声で途切れ途切れにそう言うと、光秀様は三日月のように唇を歪めた。 「まさか。愛しているに決まっているでしょう、。」 ならば、どうして? そう言おうと思い、口を開いたものの、ひゅうひゅうとただ息が漏れるだけで言葉にならない。 しかし、唇の動きでわかったのか光秀様が私の耳元に口を近づけそれに答える。 「先程も言ったでしょう?花も人も散る瞬間が一番美しいと。」 低く響く声がひどく心地のいいものに感じた。 話しながら、するりと背中に手が回される。 冷たい鎌が背中に触れ、私の肌にずぶりと突き刺さる。 悲鳴も出ず、遠のいていく意識の中に光秀様の声だけがただ響く。 「きっと、の散る姿はどの花よりも美しいのだろうと思いまして。」 耳元で呟かれた言葉は、極上、の。 |